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相続のお話② 三行半(みくだりはん)と妻の財産

夫の遺産の半分は妻のモノ

 法律で定められた遺産の分配割合、つまり法定相続による相続割合は、子と配偶者で2分の1ずつとなっています。子が複数の場合は、それを人数で均等に分割します。日本の家庭では土地や建物など家の財産の多くは、夫の名義になっていることが多く、その夫が死亡した場合は、それを妻と子とで分けることになります。
 前号でご紹介したように、かつては長子相続で、長男など家督相続者以外は遺産をもらえませんでした。弟たちや姉妹も気の毒ですが、「配偶者たる妻に相続権がないなんて!」と、現代の女性ならば腹を立てるところでしょう。
 しかし、日本の女性の社会的な権利が不当に低かったのは、明治から戦前までの70~80年間だけだったという見方もあります。江戸時代の文献によれば、夫と妻の財産は別々に考えられ、妻の財産権は確立されていたとみることができるようです。

江戸の妻たちは自分の財産を持っていた


イラストレーション:おがわまさひろ
http://i.fileweb.jp/ogawamasahiro

 確かに江戸時代も、女性が家督相続者になることはまれで、夫の 遺産を引き継ぐ例はほとんどみられません。夫が死ねば子が家督相続者になり、子がなければ必ず親族縁者が養子を迎え相続者にさせ、一切の財産を与えてこれに従う義務を負うものとされていました。でも、夫が死んでも、妻はすでに自分の財産をしっかり持っているというのがふつうだったようです。
 江戸時代は離婚のハードルが低く、特に女性の再婚、再々婚はごく当たり前のことでした。よく「夫が『三行半(みくだりはん)』の離縁状を書かねば離婚できなかった」と言われますが、実際には離縁状は協議離婚の後の再婚許可証であり、「縁切り寺に駆け込む」というのは、離婚調停が難航した女性の最後の手段だったようです。離婚に際して夫は、婚姻時の妻の持参金を全額返済することになっていましたし、持参金の返済や慰謝料のために屋敷や田畑を売る男性も少なくなかったのです。江戸時代と現代と、女性にとってはどちらが有利だったのでしょうか。

■相続税の申告と納付の手続き
 相続税の申告および納付の手続きは、被相続人が死亡した日の翌日から10ヶ月以内と決められおり、納税の方法は現金で一括が原則ですが、分割払い(延納といい最長20年)、金銭でなく不動産などの特定の財産で納付する物納があります。
 手続きは相続人で遺産分割し、各人が相続税を納め、名義を変更することで完了します。しかし期限内に納付できなかった場合には、ペナルティとして延滞税が課せられることになっています。

■トラブルが生じやすい「二次相続」
 期限内に納付できない理由で最も多いのが、親族間のトラブルにより、遺産分割ができないこと、いわゆる「相続争い」が生じたときです。相続争いは長期化することもあり、「二次相続」が起きてしまうことがあります。
 例えば、両親のうち父が亡くなり、母と子供達が相続するのが「一次相続」、その後母が亡くなり、子供達が相続するのが「二次相続」です。「一次相続」では遺産の半分を相続する故人の配偶者、つまりお母さんがいるためもめることが少ないのですが、「二次相続」では、調整役のお母さんがいないため、子供達の間で分割の協議がまとまらなくなるようです。

(執筆・諏訪書房相続研究会)

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