アイ・エス 暮らしの情報 暮らしに関するミニ知識やウンチクをご紹介

相続のお話④ 遺産の分配には決まりがある

遺産の独り占めはできない

 遺産相続の分配率は法律で定められています(法定相続)が、家族の関係はさまざまですから、中には「あの子には一銭も渡したくない」ということもあるようです。かつてはそれを「廃嫡(はいちゃく)」や「勘当」などにより、相続できない形をとることができました。しかし、現在の法律では、仮に遺言にそう書いてあったとしても、そのようにはなりません。逆に「全財産を○○に」と書いても、そうなりません。
 民法では最低限相続できる財産を、「遺留分」として保証しています。配偶者、子、父母などが相続人となる場合は、被相続人である自分の意思で自由に分配できるのは、遺産の2分の1まで(父母のみの場合は3分の2)で、他は遺留分として相続人に法定分割されます。ただし、相続人が兄弟姉妹しかいない場合は、遺留分はありません。
 法定相続によらず、自身の遺産の分配にメリハリをつけたいと考えた場合は、生前に「遺言書」を作成しておく必要があります。それをしないで、生前に特定の相続人に多くの財産を譲ったりしていると、生前贈与とみなされ、かつ、法定相続分を超える分は返還させられ再分配されることになります。
 遺言書が法的に効力を持つためには、定められた要件を満たす必要がありますので、弁護士や公証人などの専門家に依頼すべきです。せっかく遺言書を残しても不備があればその内容は実行されませんし、それがまた、新たな相続トラブルをうむこともあるので注意が必要です。

昔はダメ息子だと相続できなかった


イラストレーション:おがわまさひろ
http://i.fileweb.jp/ogawamasahiro

 かつて、家督相続の時代は、嫡男である長子などが財産の一切を相続しました。そのため、商家の場合、道楽や放蕩が過ぎる息子は家人の協議により家を出されたり、いったん家督を継ぎすぐに隠居させられたようです。商家は、家を維持するためには、「ぼんぼん」から「ぼんち」になれなかったダメな子供は相続人から外しました。「気根性のあるぼんちになってや、ぼんぼんで終ったらあかんで」は、山崎豊子の小説『ぼんち』のセリフです。そのため、商家は優秀な人材を婿に迎えることが多かったのです。
 家督相続の時代の相続とは、単に財産を譲り受けるということだけでなく、家の歴史と現在のすべてを引き継ぐことでした。ですから、武家や商家では、相続を誰がするかは、単に兄弟姉妹だけでなく、血縁以外の家臣や奉公人など家に関わるすべての人にとっての重大事だったわけです。

■「御家騒動」は相続トラブルが大半
 家督相続の時代は家督を継ぐ予定の子供を「嫡子」と言いました。この嫡子がすべての財産を相続したわけです。
 長子相続が一般的なので長男が嫡子でしたが、この長男に問題があるときは「廃嫡」し、弟や養子を嫡子とすることが行われました。江戸時代の大名家の「御家騒動」の多くは、この嫡子をだれにするかの争いでした。時代劇では、妾(めかけ)が先に産んだ長男と正妻が産んだ次男のどちらを後継とするか、家老らの派閥争いがからんで大騒動になる、という展開がよくありました。
 一方、町人である商家の場合、相続した当主が無能だと、たちまち商売が傾いて、財産を失ってしまうことにもなりかねません。そこで商家では、家督相続では長子相続にこだわらないという習慣がありました。

■美しい娘を育てるのも相続対策
 代々続いた商家では優秀な者を娘の婿養子に迎える例が実に多く、名門商家の当主の7~8割はお婿さんだったようです。これは昭和になってからも続き、商売の町・大阪の金融機関などは「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」といった考え方が普通だったとも言われています。名門商家では、息子を優秀に育てること以上に、優秀な人材探しや、優秀な婿候補の情報が集まってくるような〝評判の御料さん〟として娘を美しく育てることも大切だったわけです。
 現在でも名門と言われる商家では優秀な人を入婿させ、店を引き継いでいる例が多数あります。しかし、相続制度が変わったので、現在のお婿さんは遺産を独り占めにはできません。名門名家、資産家であればあるほど、今も昔も、相続対策は家としての大きな「仕事」になっているのです。

(執筆・諏訪書房相続研究会)

>>アイ・エス 暮らしの情報 アーカイブ