ISタイムトラベル130 NO.4

アイ・エス・ガステムは2015年、創業130周年を迎えています。
このコーナーでは、当社の歴史を人々の暮らしの変遷や歴史のトピックと一緒に連載でたどっていきます。

現金薄利主義で商売を復活

営業再開後の初荷風景。
運搬には牛車に代わり、
トラックを使用するようになった。
前号で述べたように、戦中・戦後の統制が解除されてから、石井商店の2代目の石井信吉は炭薪の卸問屋を再開します。株式会社石井商店(資本金40万円)として設立されるのは、1950年(昭和25年)7月のことです。
 事業復活の資金は、戦前に購入した市川の約1,000坪の土地を売って捻出し、3代目となる誠が市川・曽谷の山林の木を切り出し、立派な店の門と倉庫を作りました。「商売は門構えから」という考えがあったのです。
 商品である炭は、「商売を再開します」と全国の荷主に通知したところ、各産地から続々と送られてきました。炭は列車で届けられますから、市川駅の構内はみるみる当社の炭でいっぱいになってしまいました。
 そこで「時は現金薄利主義」という新聞広告を打ち出します。
 戦後の驚異的な物価高の時代に、必需品の燃料を安価で提供したことで、お客様に喜ばれ、店は瞬く間に戦前の規模に戻りました。
 家庭用エネルギーの主役は圧倒的に木炭や練炭でしたが、石井誠はそれらの商品を販売しながらも、家庭用エネルギーの主役交代の日が必ず来ると考えます。誠が考えた、次の主役は、ガスでした。

戦後の暮らしとエネルギー

●戦後インフレ
 1945年(昭和20年)、日本は敗戦を迎えます。戦争中に戦費調達のために発行した国債の償還や軍需物資への支払い、多数の退役軍人への退職金などで市中にお金が溢れる一方で、戦災による生産設備の消失で物資生産はストップし、極端なモノ不足による物価高が生じていました。物価は敗戦後3年半の間で公定価格で約100倍となり、インフレが進みました。

●昭和20年代の家庭用エネルギー
 戦後、昭和20年代の家庭用エネルギーは、戦前のそれとあまり変わりませんでした。お風呂や煮炊きのためのかまどは薪(まき)、炭(木炭)、暖房は練炭火鉢、豆炭あんかなど。復興が進むと、石炭の需要も増えました。

●戦前・戦後の家庭用ガス利用
 家庭でガスが使用されるのは明治時代からですが、最初、ガス(いまの都市ガス)は街灯や室内灯、つまり照明の燃料として使用されていました。台所などの熱源として利用されるのは1900年頃(明治30年代)からです。しかし、都市ガス配管は東京・大阪など都会のごく限られた場所にしか敷設されていなかったので、戦後の昭和20年代になっても、一般家庭でガスを使用する家はごくわずかでした。

●灯油コンロとは
 照明用の油として使われていた灯油は、昭和20年代の半ばに石油コンロが登場し、台所の熱源としても利用されるようになりました。その頃から、工業用や業務用の分野では石炭から石油への転換が徐々にはじまります。石油コンロが昭和20年代の終わりから30年代のはじめに一時的にブームとなりますが、プロパンガスの登場によって姿を消します。

薪炭が家庭用エネルギーの主役

家庭用燃料は薪と炭の時代が長く続きました。炭はふつう木炭のことを指し、木材を加熱して炭化させたもので、燃えても炎が出ません。練炭は石炭を粉末にして円筒形に成型し、蓮根状の穴をあけたもので、七輪や火鉢で使います。豆炭は石炭の粉末を豆状にしたもので、保温器であるあんか(行火)の燃料などに使いました。
 灯油は元々はその名のとおり、照明用の石油ランプの燃料でしたが、灯油コンロで用いられるようになります。石油ストーブが一般家庭に普及するのは、加圧式石油ストーブが登場する昭和30年以降のことです。

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